真由美の独り言

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03/02/27

□■環境ホルモン


■環境ホルモン、正式には内分泌撹乱(かくらん)化学物質(endocrine disrupting
chemicals)と呼ばれ、極微量でも生物のホルモン分泌系を撹乱してしまいます。
(注1)
環境ホルモンは簡単に言うと、動物の体に取り込まれた場合に正常なホルモンの作
用に影響与える物質のことです。
ホルモンの様に振舞う場合もありますし、正常なホルモンの働きを阻害するような場合もあります。

■歴史
事の発端は1962年、レイチェル・カーソン女史の「沈黙の春(silent spring)」
(注2)での、合成殺虫剤が招く危険性をめぐっての重大な警告でした。
時の大統領ケネディーもこの本を読んで感動し、産業界の反発を押し切り、早速、
農薬の環境への影響を調査させ危険な農薬禁止への第一歩を踏みだしました。
彼女は1964年にがんで56歳の生涯を閉じます。

このような農薬汚染を題材にした映画がジュリア・ロバーツ、デンゼル・ワシントン主演の「ペリカン文書」です。

しかし、事態は収拾していませんでした。
1991年Theo・コルボーン女史らの提唱でウィングスプレット宣言がでます。環境ホルモンへの警告です。
そして、1996年、「奪われし未来(Our Stolen Future)」(注3)が出ます。
環境ホルモンの生物界への影響がクローズアップされた衝撃の書です。
この本には時のゴア副大統領が序文を寄せています。

■環境ホルモンの濃度
普通、化学物質の急性毒性や発ガン性が問題になるのは、ppm の単位です。つまり
100万分の1の単位です。ところが、環境ホルモンが問題になる濃度は、ppb,ppt
の単位です。ppm より1000倍〜100万倍薄い濃度で作用するのです。(注4)

感覚では判りにくいですね。
イボニシと言う貝がいます。日本の近海でも普通に見られる貝です。
この貝には環境ホルモンの一つ有機スズ(トリブチルスズ)が影響しています。
有機スズは、船体に塗られる塗料に、貝の付着などを防ぐ目的で加えられています。
1pptでメスにペニスが生えてきて、3週間で90%がオス化したと言う報告がありま
す。その濃度ですが50mプールの水に1/1000gの量です。
有機スズについては2001.10月の国際海事機関の国際会議で使用禁止が採択されます。

さらに恐ろしい事には、低濃度効果と言われ、幾つかの化学物質については超微量
の方がかえって効果が大きくなることがあると言うのです。従来の安全性の概念が
通用しないのです。

■環境ホルモンの種類
現在私達が普段使用している化学物質は87,000種(一説には10万種)にのぼると言われています。
その内、どれだけの化学物質が環境ホルモンとして働くのか判っていません。

環境庁が1998年5月に策定した「環境ホルモン戦略計画SPEED'98」では、疑われる
化学物質として67物質をあげています。
有名なところでは、DDT、PCB、ダイオキシン、業務用合成洗剤の分解物であ
るノニルフェノール、ポリカーボネート樹脂の原料等であるビスフェノールA、ス
チレンからポリスチレン樹脂を合成する時、重合が不完全で生成するスチレンダイ
マー(2量体)、スチレントリマー(3量体)などです。

■生物濃縮係数
化学物質は食物連鎖によって次第に濃度が高くなっていきます。
アメリカの五大湖のPCBの例だと、水質検査ではPCBは微量で計測不能です。ところ
が食物連鎖の頂点に立つセグロカモメでは2500万倍、その上のハクトウワシに至っ
ては5億倍と言う数字が出ています。

また、世界中何処にいてもこれらの化学物質から逃れる事は出来ません。
北極に住むアザラシで3億8400万倍、それを食べるホッキョクグマは、食物連鎖の
頂点にいるため30億倍にまで濃縮されています。

人は別でしょうか? いいえ、当然そんなことはありません。アザラシを食べるイ
ヌイットの人々にはっきりした影響が出ていると言います。
また、デンマークの例では、人間の精巣がんが1940-1980で3倍、精巣の異常細胞
の増加、1938-1990で精子数の半減などが報告されています。

人間の精子の数は現在でもかろうじて受精できるほどの数しかいないと言います。
それほど脆弱な種なのだそうです。それにしては人口が多い。^^;
これに、もし、環境ホルモンの影響で精子の数が減るような事になると、種の存続
に関わってくるといえます。
昨年の静大のシミュレーションでは2050〜2060年に深刻な状況になると言う中間報告があります。

もう一つ問題なのは、これらの環境ホルモンが生物の雌雄が分化する時点で大きな
影響を与える事です。従来は胎盤が化学物質のトリデになっていると考えられてい
ましたが、最近の研究ではトリデにはなっていないということがはっきりしてきました。

人間の体脂肪の中には少なくとも250種類以上の化学物質が有るとも言われます。
これらの化学物質は子孫に伝えられてしまいます。大変なことが起こるかもしれないのです。

生物は進化の歴史の中で、がん発生の要因となるDNAの傷を修復する機構を獲得し
ています。しかし、ホルモン撹乱に対する修復機構は全く持っていないのです。

日本のダイオキシン対策はヨーロッパに比べると10年は遅れていました。最近やっ
と、欧米並の規制値に近づいています。しかし、なかなか分解されない化学物質は
すでに環境中に多く蓄積してしまっているのです。
第二のエイズ問題にならなければいいのですが。

(注1) 米国では一般人の環境ホルモンの認知度が50%に満たないといいます。
理由は、内分泌撹乱化学物質という単語を使い、環境ホルモン(environmental
hormone)と言う単語を使っていないからだといいます。
ネーミングは非常に重要ですね。
ちなみに、日本での認知度は、ほぼ100%だといいます。
(注2)「沈黙の春」  レイチェル・カーソン著 青樹簗一訳   1992  新潮社文庫
(注3)「奪われし未来」シーア・コルボーン他著 長尾力訳 1997 翔泳社  
本ではTheo Colbornをシーア・コルボーンと訳していますが、NHKではティオ・
コルボーンとしていました。
(注4)ppm:parts per billion 100万分の1
     ppb:parts per million 10億分の1
     ppt:parts per trillion 1兆分の1

 

□■キツネ(狐)

今日は狐のお話です。

■狐の語源としては「日本霊異記」(平安初期に成立した仏教説話集:僧景戒撰)では「来つ寝」と

なっています。
しかし、異論も多く、鳴き声に由来する「キツ」から来ていると言う説を取るのが、多いようです。

ネは尊称・愛称の意味の一種の接尾語。コンコンと鳴くのでは? 古い文献には「キツキツ」とか「クツクツ」と記されているそうです。

■狐といえばお稲荷様ですが、
もともと稲荷(稲生(いななり)」の変化)は五穀を司る神として信仰された宇賀御魂命

(うかのみたまのみこと)のことです。
狐との関係は、宇賀御魂命の別称である御饌津神(みけつかみ)を三狐(みきつね)
神と書き誤ったことに由来するようです。

話は変わって、花火と言えば、鍵屋と玉屋。花火が上がった時の掛け声として今で
も知られていますね。この二軒は江戸時代の花火屋です。
お稲荷様には防火の御利益があるとされ、鍵屋と玉屋もお稲荷様の氏子でした。
一般に稲荷の狐は、宝珠や巻物のような八宝といわれるめでたい宝物をくわえてい
ますが、鍵屋の狐は鍵をくわえており、玉屋の狐は宝珠(玉)をくわえていたといいます。

いまでも、稲荷神社の入り口に狛犬代わりに座っている二匹の狐が鍵と玉を足で抑
えているのがありますね。

関東で有名なのは、王子稲荷です。
毎年大晦日の晩に関八州の狐が集まり、盛大な忘年会を開き、油揚げを食べ、王子
の頭領から位をいただくとされています。
関八州の稲荷神社の総社で11代将軍家斉(いえなり)が8棟の社殿を寄進してから
江戸の名所になりました。初午に詣でると火難除け商売繁盛のご利益があると言われます。

「王子の狐」と言う落語もありますね。
悪い人間に騙されひどい目にあった狐の話。「狐は七化け、狸は八化け」、どうも
人間の方がその上をいっているようです。

■近頃、平安時代の天才陰陽師として名高い、安倍晴明が若い女性の間で流行って
いますね。小説家や漫画家が、超美形に超格好良く書いたのが原因? ^^;

彼を祭る『晴明神社』は昨今の風水ブームや漫画の影響で訪れる人が急増しているそうです。
ここの絵馬は五角形の各々の頂点を結んだ星型で、五芒星とか、晴明桔梗紋と呼ば
れ、魔力を持つ図形とされる形をしています。

彼の出生は浄瑠璃や歌舞伎で有名なお話です。
彼の父は、安倍保名(あべのやすな)で、母(葛乃葉)は狩で追われていたのを保
名に助けられた白狐とされています。
狐は古来から、霊力を持つ動物として崇められており、白狐の母を持つ晴明は、天
才陰陽師として君臨したと言うのです。

大阪で狐うどんを“しのだ”と言うのは、葛の葉の物語の中「恋しくばたづね来て
みよいづみなるしのだの森のうらみ葛の葉」と書き残された和歌よりでているそうです。

■では、狐の関係する言葉
★狐裘(こきゅう)は狐の腋(わき)の下の白毛皮でつくった皮衣で、中国では、
上等なものとして珍重されたようです。

☆「千羊の皮は一狐の腋に如かず、千人の諾諾たるは一士の諤諤(がくがく)たる
に如かず 」と言う言葉があります。
「安い羊の毛皮を千枚そろえたところで、 狐の脇から取れる高価なひとつまみの
毛には及ばない。イエスマンが千人いたところで、諤諤と直言する一人の部下には
及ばない」 という意味です。

☆史記の孟嘗君伝の「鶏鳴狗盗」の故事にも出てきます。
秦の昭王に捕えられた斉の孟嘗君は、既に王に献じてあった狐のかわごろもを狗
(いぬ)の真似をする食客に盗み出させます。
そして、それを王の寵姫に贈り、そのとりなしで釈放してもらいます。
のがれて夜半に函谷関に着きましたが、そこには鶏鳴までは開門しない掟がありま
した。そこで、鶏の鳴き真似の上手な食客に鳴き声を出させ、群鶏をそれに和させ
るようにして開門させて脱出することができたというお話です。

鶏の鳴きまねをして人をだましたり、犬のようにして物を盗んだりする卑しい者の
意味。また、どんなくだらない技能でも、役に立つことのある例えとされます。

☆晏嬰(あんえい)の狐裘
斉の晏子が一枚の狐の皮衣を三十年も着ていたという故事から、きわめて倹約なこ
とのたとえに使われます。

★狐拳(きつねけん)
三すくみ拳の一種です。庄屋は鉄砲 (猟師) に勝ち、鉄砲は狐に勝ち、狐は庄屋に
勝つというルールです。
時代劇映画などに出てくることがありますね。座って対戦し、庄屋は正座して両手
は膝の上、狐は両手を耳の後ろにかざし、鉄砲は左手を伸ばして右手で引金を引く、
という動作で形を示します。三味線に乗ってにぎやかにやるお座敷遊びです。

狐は益獣です。田畑を荒らす野鼠や兎をとります。また肉も美味しくないようです。
毛皮のために獲られたのでしょうね。

                                                                                                     

                                                                                                     資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

02/01/09

□■馬 その1

今日は馬のお話です。

「うま」の語源は中国語の「ば」(現在は「ま」)の訛ったものとされています。
「ば」→「んば」→「んま」→「うま」
一方「駒」の方は、仔馬(こうま)→こま となり、やがて馬一般をさすようになったといいます。

馬の最古の祖先は約6000万年前に現れたエオヒップス(あけぼのウマ)で犬のテリア
程度の大きさだったようです。指も前4本、後3本ありました。
いま世界にはウマ科はもう7種類しかいません。野生馬のモウコノウマと家畜馬
(サラブレッド、アラブ、日本の在来種など約100種)とロバが2種とシマウマが3種だけです。

現在いるサラブレッドは、17世紀〜18世紀にかけて、イギリスの土着馬にアラブ種
の馬を掛け合わせ、より速く走るために品種改良をしたものです。
そして、すべてのサラブレッドが1700年頃のたった三頭の種馬に遡ることができま
す。この三頭(ダーレーアラビアン・バイアリーターク・ゴルドフィンアラビアン)
をサラブレッドの3大始祖といいます。

馬はなぜ馬面なのでしょう?
顔の長い動物は草食性に多いようです。草を食べるには、消化しにくい草を歯で良
くすりつぶす必要があるからです。大型の臼歯が発達し、顎が大きくなります。
ウマの先祖は木の葉を食べていたようです。やがて、2500万年前頃には、草原が広
がり、草を食べるようになります。
草は木の葉よりセルロースが硬く消化しにくいのです。そこで良くすりつぶすため、
馬面になったというわけです。

「こりゃどうぢゃ、世はさかさまになりにけり、乗った人より馬が丸顔」
高杉晋作の馬面を詠んだ狂歌です。^^;

ところで、牛は馬ほど顔は長くありませんね。これは、反芻という方法を獲得した
ことによります。消化の効率が良いのです。
ですから、馬類は現在7種と衰退していますが、牛類はヤギ、羊、など繁栄しています。

馬が乗馬用に使われたのは、いつでしょう? 最も古い証拠はウクライナで紀元前
4000年頃の乗馬に使われた馬の骨が見つかっています。
乗馬は人類の歴史において、画期的な技術革新であり、世界の歴史を左右してきました。

その重要度は航空機の発明以上の意味を持つと言われます。

日本にいつ馬が入ってきたかについては、はっきりしていませんが、発掘された最
も古い馬の骨が5世紀中ごろですから、大体その頃だと推測されています。
魏志倭人伝(3世紀前半の日本の様子を記載)には日本には馬がいないと書かれています。
日本の馬は、現在の木曽馬で体高130センチぐらいですが、本来はもっと小さかったようです。
戦国時代の映画などに出てくるサラブレッドのような馬は間違いなのです。^^;

馬の指は中指1本に進化しましたが、1本指が最も速く走れるんだそうです。
動物の走り方には2通りあります。
肉食動物に多い走り方の回転襲歩(左後足→右後足→右前足→左前足)と
草食動物に多い走り方の交叉襲歩(左後足→右後足→左前足→右前足)です。
回転襲歩はスタートダッシュは利きますが持続力に欠けます。一方交叉襲歩は揺れ
が少なく安定し長距離に向きます。
馬はスタート直後は回転襲歩(しゅうほ)、後は交叉襲歩と使い分けます。
両方使い分けるのは馬だけでは無いかと言われています。
馬は走りのスペシャリストなのです。

■では、本題の雑学を
★シマウマの縞
シマウマの縞は白地に黒だそうです。
ところで、あの目立つ縞はどういう効果があるんでしょう?
諸説ありますが、肉食獣からはストライプ模様は群れをなすと潅木林のように見え
るようなのです。つまり、風景と同化するための模様と言うわけなのです。最大の
天敵、ライオンは目が良くないので、人が見るほどはっきり見えているわけでは無いようです。

ところで、ゼブラと言うボールペンの会社がありますが、名前の由来が面白いので
紹介します。シマウマは斑馬と書きます。斑という字は文が二つの王に挟まれてい
ます。つまり「文房具の王様」と言う思いを込めたとか。

★馬の色
「日本種馬登録協会」では7種類に大別しているそうです。
栗毛、栃栗毛、鹿毛、黒鹿毛、青毛、葦毛、粕毛。
色の説明はややこしいので省略しますが、黒鹿毛はほぼ黒い毛、青毛は真っ黒な毛、
葦毛は白い色、だそうです。興味のある人は辞書を引いてください。^^;

黒いのに青と言うのは、奈良時代黒味を帯びた青色を「あお」と呼んだことによるそうです。
辞書を見ると、「あおうま」に二通りの漢字が当てられています。青馬と白馬です。
そして意味も、「艶のある黒色で、青みを帯びて見える。」と「白馬(はくば)」を
併記しています。紛らわしいですね。
白馬(あおうま)の節会(せちえ)は白馬の方を書きます。

□■馬 その1 増刊号

馬に関する言葉を集めてみました。

★おてんば
江戸時代の交通機関として、公用の御伝馬(おてんま)と民用の駄賃馬(だちんうま)
がありました。駄賃馬は餌も不十分で酷使されたので元気が無かったのに対し、御
伝馬は餌も豊富で仕事も少なかったので、いつも威勢がよく跳ねていました。これ
から元気な娘を「おてんば」というようになったと言います。

この言葉の語源には、もう一つ有名な説があります。
オランダ語の「慣らされていない」の意味の「Ontembaar」が語源とするものです。
末尾のrはほとんど聞き取れないので、確かにオテンバに聞こえますね。

似たような言葉に「じゃじゃ馬」と言うのがあります。この説明はホームページの
「Vol.15 鉄」の蛇足に載せていますので参考にして下さい。

★そそっかしい
馬を追う声を古語では"そ"といい、その言葉を重ねて"そそ"と言う言葉が出来まし
た。その後、人を追いたてるの意味を持ち、更に、せきたてる、落ち着かないの意味に変化しました。
"そそく"→"そそかしい"→"そそっかしい"となりました。

★野次馬
元々は年を取った親父馬(おやじうま)のことを言いました。馬は集団で行動する
動物です。一頭のボス馬が集団を率います。しかし、年を取るとリーダーを引退し、
集団の後につくようになるそうです。それが親父馬です。その様子から、人の後に
ついてぞろぞろついてまわる人々のことを指すようになりました。
"親父馬"→"やじ馬"→"野次馬"
これから"やじを飛ばす"などの言葉もできました。また、尻馬も同じような意味合いです。

★下馬評
江戸時代、江戸城に入るのには、桜田門、大手門、和田蔵門などを通りましたが、
大名や旗本はここから先は徒歩で行く規則でした。これらの門前には下馬札が立て
られていました。そしてこの場所を下馬先広場といいました。
そして、お供の者達はこの場所で主人の帰りを待ったのです。主人達が帰るまでは
暇ですから、噂話に花が咲きます。これが下馬先広場の評判、つまり下馬評なのです。

ところで、大名の登城は大紋という第一礼装です。あの、忠臣蔵、松の廊下で浅野
内匠頭の着ている、引きずって歩く服装です。
大名達はこの服装で下馬札の場所から城まで、袴をたくし上げ向う脛を出して歩い
たそうです。袴の部分に通してある紐を引いてたくし上げ、首の後ろで結んだんだとか。

★引き出物
平安や鎌倉時代に、貴族や武家の間で馬を贈る習慣がありました。そのさい、馬を
庭に引き出し選んでもらったそうです。これが"引き出物"の語源です。やがて、馬
は「馬代(うましろ)」と言う金品(金子・刀剣・鞍・鎧兜・小袖)に変わったそうですが。
今日の結婚式などの"引き出物"はその言葉の名残です。

★はなむけ
漢字で"餞"と書きますが、元々は"馬の鼻向け"の略です。
昔、旅立つ人に餞別として品物や金品や詩歌を贈った後、馬の鼻を進行方向に向け
て見送る習慣がありました、そのことに由来します。
伊勢物語や土佐日記などにも出てきます。

★毛嫌い
馬や牛の仲買をする博労(ばくろう)の言葉だとされています。
馬を掛け合わせる場合、時に一方の馬が相手を嫌いうまくいかないことがあります。
理由はわからないのですが、博労たちは相手の馬の毛の色が気に入らないのだろう
と推測しました。これがこの言葉の由来です。
他にも闘鶏で鶏が相手の毛なみを嫌って蹴合わないからだとする説もあります。

★羽目をはずす
"はめ"は"はみ(馬銜)"からきています。"はみ"とは、荒馬を制するため、口にかま
せる縄のことです。これを外すと馬が暴れだすことから、"はめをはずす"とは調子
に乗った行動を取ることをいいます。

別の説としては、"羽目"とは板を平らに張ることを言いますが、この隙間無く張ら
なければならない羽目を外してしまっては役に立ちません。ここから人の度を過ご
す態度を指すようになったと言います。

★地道
これは馬術用語から来たといいます。馬術では馬の速度によって"かけ"、"のり"、
"地道"と三種類あります。この"地道"は並足のことで、堅実な歩みです。ここから
「手堅く着実なこと。じみでまじめなこと。」と言う意味になりました。

★埒(らち)があく 今は否定形での使用の方が多いのでしょうか?
埒とは馬場の周囲の柵のことです。
「埒が明く」は物事がはかどる、てきぱきと事を運ぶ意味に使われます。
一説には賀茂の競馬で柵がはずされ、馬が場内に引き入れられることからといいま
すが、その他いろいろ説あるようです。

★桃尻
馬に乗るのが下手で、鞍に落ち着かないお尻のことです。転じて、落ち着きが無く
一つの場所、一つの仕事にとどまっていられない人のことも指します。
桃の実の尻(実際は頭)がとがってすわりの悪いところから来た言葉のようです。

★膝栗毛
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が有名ですが、これは栗毛の馬に揺られる代わり
に自分の膝を馬に見立てて徒歩の旅をしようと言うのです。

★馬脚を露(あら)わす
馬脚とは馬の脚の役をする人のことで、お芝居の最中にしくじって姿を見せてしま
うことからできた言葉です。

□■馬 その2


■中国の故事に由来する馬に関する諺など
★人間万事塞翁が馬
前漢時代の「淮南子(えなんじ)」に出てくる寓話です。
中国の北境の塞(とりで)近くに一人の老人が住んでいました。(それで塞翁)
この老人の馬が逃げたので、近所の人が慰めましたが、気にする様子がありません。
果たして数ヵ月後、この馬は駿馬を連れて帰ってきました。
人々はお祝いを言いましたが、「これが禍にならないとは限らない」と喜びません。
馬は子供を産み良馬が増えましたが、乗馬好きな息子が落馬して足の骨を折りまし
た。やがて、戦争になり、参戦した多くの村の若者が戦死しましたが、足の悪い息
子は参戦できず無事でした。

このように人生の吉凶は簡単には定めがたいことをいう言葉です。

★ほくそえむ
「人間万事塞翁が馬」の故事に出てくる塞翁は別名を北叟(ほくそう)といいます。
叟は「翁」の意味です。この北叟が少し笑った様子を指して「北叟笑い(ほくそわ
らい)」といい、それが「ほくそえむ」と変わったといいます。

★泣いて馬謖を斬る
三国志に出てくるお話です。
馬謖(ばしょく)は諸葛孔明に重用された蜀漢の武将です。
漢中から魏領に攻め込んだ孔明は目をかけていた馬謖に街亭での指揮をとらせ、自
らは他に転戦しました。ところが、馬謖は孔明の命に従わず険しい山上に布陣し魏軍に大敗を喫っします。
この大敗により孔明は魏領よりの撤退を余儀なくされます。そして、泣く泣く馬謖
を斬り、全軍に範を示しました。

この故事から、規律を保つため私情に流されること無く処分を行うことや、大きな
目的のためには自分の愛する者をも切り捨てることを言います。

★白眉
これは馬謖の兄の話です。
蜀漢の劉備に仕えた馬良という名参謀がいました。彼は秀才ぞろいの五人兄弟の長
兄です。兄弟の中でも馬良が最も優秀でした。彼の眉毛には白毛が混じっていたの
で、人々は「馬氏五兄弟の中でも白い眉が一番」と噂しました。
このことから、最も傑出している人物、あるいは物を"白眉"というようになりました。

★伯楽
伯楽は、春秋五覇の一人、秦の穆公(ぼくこう)に使えた有名な馬の鑑定家、孫陽の
ことです。(紀元前七世紀)
現在は、"人物を見ぬく眼力のある人"を指します。さしずめ、小出義雄監督などは名伯楽ですね。

博労(ばくろう)または馬喰と言う言葉があります。
馬や牛のことに詳しく、またその売買周旋などを業とする者のことを言いますが、
この言葉は伯楽が変化したものだと言われています。

★千里の馬はあれども一人の伯楽(はくらく)は無し
名馬はいつの時代でもいるが、その馬を見つけ出して、その能力を発揮させる伯楽はいないの意味です。
現在は、世の中には、いつの時代でも有能な人材はいるが、これを登用し、十分腕
を発揮させる名宰相は少ないの意味で使われます。

★天高く馬肥ゆる
杜審言(としんげん;杜甫の祖父、7世紀)が、唐軍の参謀として北辺の地にいる友
人に唐軍の勝利に対し贈った詩の中の一句、「秋高くして塞馬(さいば)肥えたり」が出典です
北方の騎馬民族は秋になると厳冬期の食料を求めて、肥えた馬にまたがって集団で
漢民族を襲いました。ですから、もともと"秋、馬肥ゆ"は騎馬民族の跳梁を意味する言葉でした。
これが、杜審言によって唐軍の勝利による平和を謳歌する言葉として格調高く詠ま
れ、後に"秋"が"天"に変わり気候の良い秋の季節を形容する言葉へと変わりました。

★馬耳東風
唐の時代の詩人、李白(701〜762)の詩に由来します。
当時は、高潔で優れた人物が不遇をかこつ時代でした。李白の友人、王十二もそん
な中の一人でした。彼の愚痴に対し、李白の詠んだ詩に「世人はこれを聞いてみな
頭を振り、東風の馬耳を射るがごとくあり」と言う一節があります。
「我々の言葉、我々の傑作には頭を振って耳を傾けようとせず、まるで東風が馬の
耳に吹くようなものである」と言う意味です。

★竹馬の友
「晋書」の桓温(かんおん)と言う人の言葉。
東晋(317〜420)の武将だった桓温(312〜373)には早くから才名を世に謳われてい
た、幼馴染の殷浩(いんこう)がいました。
ところが、この殷浩、いざ軍を指揮すると連戦連敗で桓温に辺地に流されてしまいます。
人のとりなしで桓温が官を授ける手紙を出した所、殷浩は中身をなくし、官にあり
つけないまま死んでしまいました。
この殷浩を評し「私は子供の頃、殷浩と竹馬で遊んだものだが、私が竹馬を放り出
すと、その後彼は竹馬を取っていた。だからいつも彼が私の下にまわるのも当然だ」
と言ったことから「竹馬の友」と言う言葉が使われだしました。
現在では幼馴染の友達の意味に使われますね。

  〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 なおサラブレッドの三大始祖の一頭の「ゴルドフィンアラビアン」は
間違いで、正しくは「ゴドルフィンアラビアン(GODOLPHIN ARABIAN)」でした。
訂正します。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/08/29

□■ウナギ

ウナギは謎に満ちた生き物です。産卵場所がわかったのもつい最近です。
日本から南へ2000キロ離れたマリアナ諸島付近がその場所です。

そこで生まれたウナギの幼生(レプトケファルス)が海流に乗り、約6ヶ月をかけて、
日本、中国、台湾の沿岸までやって来るのです。
しかし、今でも産卵の正確な場所や移動する深さなどはわかっていません。

では、養殖ウナギは、どうなっているのでしょう?
実は、マリアナ諸島から流されてきた稚魚を捕獲し、育てて出荷する方法をとっているのです。

一方、捕獲されなかった稚魚は、川や湖で約10年すごし、産卵の為、

また太平洋の故郷まで旅をするのです。

土用の丑の日にウナギはつき物ですね、ところで土用って何でしょう?
土用とは、立春、立夏、立秋、立冬(暦の上での季節の変わり目)の前、約18日間のことをいいます。

その期間中の丑の日が土用の丑。現在では立秋の前を特に言いますね。今年は7月30日です。

この「土用の丑にウナギ」が広まったのは、江戸時代。平賀源内がウナギ屋に頼まれて書いた、

キャッチコピーが始まりと言われています。しかし、本当は土用の頃のウナギはおいしくないんです。

でも、これは天然物のお話。今は99%養殖物ですから、おいしく食べられますよ!

日本は世界の消費量の約半分約5億尾(12万7千トン)のウナギを1年間で消費量しています。

日本では蒲焼がほとんどですが、外国では中国(炒め物)、ベトナム(鍋)、イギリス(パイ)、

ドイツ(燻製)、スペイン(稚魚のガーリック炒め)などの料理で食べられています。

日本で食べられているウナギの99%は、国内や海外で育てられた養殖物のウナギで、

天然ものは、1%足らずです。しかも、最近は日本近海での稚魚が採れなくなっており、

ヨーロッパ産の稚魚を養殖したものも増えています。卵からの養殖も実験されていますが、

まだ実用化にはいくつも壁があるようです。

ウナギを食べる習慣はもともと関西のもので、関東に来て蒸す工程が加わったといわれています。
関東と関西での一番の違いは開き方ですね。

江戸では、ウナギを腹から割くことは武士の切腹と同じになるため、背中側から割き、

頭・尾をとり、白焼き→蒸す→タレをつけて焼くの手順です。一方、京・大阪は、

ウナギのお腹側から割いていき、頭・尾をつけたまま白焼き→タレをつけて焼く(蒸さない)の手順です。

ウナギの栄養は?
ビタミン(A、B1、B2、D、E)、EPA、DHA、良質なコラーゲン、そして
ミネラルも豊富ですから、大いに食べましょう。

■ここで、ウナギに関する誤解を解いておきましょう。
1.カロリーが高い
うな丼のカロリーは647kcalです。他のどんぶり物、ねぎとろ丼(715kcal)、
中華丼(738kcal)、天丼(752kcal)、カツ丼(900kcal)と比べても少ないんです。

2.脂っぽい
 ウナギに含まれる脂肪の量は、100g中24gと多いんですが、実は、この脂肪
分は不飽和脂肪酸で、悪玉コレステロールを抑制する働きがあります。

3.胃がもたれる
うな丼につきものの山椒。この山椒にウナギの消化を助ける作用があります。
胃がもたれやすい人は山椒を必ずかけましょう。昔の人の知恵はすごいですね。

■雑学アラカルト
〇"江戸前"寿司なんていいますが、江戸時代は"江戸前"と言えばウナギのことをさしたんです。

〇蒲焼ってどうして言うのでしょう。諸説ありますが3.が有力ですね。
 1.色が樺の皮に似ている 樺焼き
 2.香ばしい香が早く伝わる 香疾焼き(こうばしやき)
 3.形が蒲(がま)に似ている  蒲焼き
    これは最初、筒切りにして竹串に刺し荒塩で食べたことによります。

〇ウナギとアナゴ、どこが違うのでしょう?
 分類学上ウナギは「ウナギ目ウナギ科」アナゴは「ウナギ目アナゴ科」と呼ばれ、

魚の中では兄弟のようなもの。しかし「ヤツメウナギ」「デンキウナギ」は、外見が似ていることから、

同じ「ウナギ」という名前が付いていますが、生物学的には全く違った種です。
ウナギの仲間にはアナゴの他、ハモ、ウツボ、ウミヘビ等がいます。

〇ウナギパイにウナギは入っているの?
ウナギパイの中身は、主にビタミンAをたっぷり含ませたバター、小麦粉、グラニュー糖で、

隠し味に、にんにく、ウナギの粉(ウナギの頭や骨を煮込んだスープを粉末にしたもの)が使われています。このウナギの粉やにんにくが、精力をつけ、元気をだします。

〇鰻のぼりってなぜ言うの?
二つ説があります。一つはウナギを手でつかもうとすると、どんどんのぼって
しまうと言う説。もう一つはウナギは水中で垂直にのぼっていくことに由来すると言う説です。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/08/08

□■アメリカ大陸


アメリカ大陸は、コロンブス(Christopher Columbus:1451?−1506:伊)が発見したということは、

子供でも知っていますね。だとすると、何故コロンビア大陸ではないのでしょう?

コロンブスは死ぬまで新大陸を発見したとは思っていなかったのです。

東洋に着いたとばかり思っていたのです。

結局、最初に未知の大陸であると主張したアメリゴ・ベスプッチ(Amerigo Vespucci:1452?−1512:伊)

に栄誉をさらわれたのです。ちなみに、大陸名は女性名ということで、

アメリゴの女性名アメリカになったのです。


コロンブスの名は、コロンビアの国名や、合衆国のワシントンの有るコロンビア特別区に

名を留めていますね。

コロンブスが航海に利用したトスカネリの地図は、プトレマイオス(2世紀頃)の地図の

影響を大きく受けていました。

このプトレマイオスは、ギリシャ時代に正しく地球の大きさを計算したエラトステネスより、

3割ほど小さいポセイドニオスの数値を採用しています。さらに、緯度を測るのは星の位置

程度簡単なのですが、経度となると大変です。正確な経度はクロノメーターと言う時計が

出来るまで(1761年)計測できなかったのです。ですからアジアの位置は東回りでは実際

遠く考えられていました。

ということで、コロンブスはヨーロッパから西回りで、東洋までを約5,680kmと想定しました。

が、実際は約18,800kmありました。(脚注)もし、途中にアメリカ大陸が存在していなかったら、

彼らは食料と水の不足のため、遭難していたはずなのです。

小さく見積もったから航海に踏み出せたとも言えますが・・・。
事実、後に世界一周をしたマゼランは太平洋を渡るのに3ヶ月以上を要しているのです。

二つの間違い(地球を小さく見積もった、アメリカ大陸が存在しない)が彼をアメリカ大陸の

発見者にしたのは神のイタズラでしょうか?

でも、ほんとうのアメリカ大陸の発見者は?
それは当然、アメリカ原住民です。1万2千年前ごろに大規模な移住が、4派にわたって、

ベーリング海峡をつなぐ陸橋(ベーリンジア)を通って行われたと言われています。
4万5千年ぐらい前の遺跡もあり、小規模な移住はそれ以前に何度か繰り返され
ていたとする説もありますが定説にはなっていないようです。

インディアンとインディオの違いは?

アメリカ原住民の呼称は、北極圏近くの人がイヌイット(エスキモー)、北アメリカの人々は、

英語でアメリカ・インディアン、ラテン・アメリカの人々はスペイン語でインディオと呼ばれてきました。

ただ、この言葉、差別用語だと言うことで現地では使わない方が無難だそうです。

最近、米国でもネイティブ・アメリカンと言うのが普通ですね。人種的には北アメリカ人(北アメリンド)

と南アメリカ人(南アメリンド)は区別されます。確かに、インディアンとインディオ、顔立ちが違いますね。

インディオの方が日本人に似ている。15世紀末頃は推定9000万人以上の人々が住んでいたといわれます。

アメリカ大陸は多くの作物を世界にもたらしました。じゃが芋、たばこ、トマト、とうもろこし、ピーナッツ、

パイナップル、パパイア、グワバ、アボガド、カカオ、ブルーベリー、カシューナッツ、唐辛子、ピーマン、

など。これらが無ければ私達の今の生活は考えられませんね。

ところで、ヴァイキング(ノルマン)も北米に行っています。西暦の1000年頃の話です。

ノヴァ・スコシアからニューイングランド地方をヴィンランド(葡萄の土地)と名付けています。

まだあります。フェニキア文字がブラジルで発見されたとか。もし本当なら紀元前にアメリカ大陸は

ヨーロッパ人に発見されていたことになります。

さらに1485年以前にアロンソ・サンチェスが新大陸を発見していると言うのです。彼は難破し、

ただ一人生き残ります。そして一説によると、彼の話を聞いていたから、

コロンブスは執拗に航海に出ようとしていたのだとか・・・。

ところで、私達、日本人と言うより縄文人も5千年ほど前に南米に渡っていたと言う学説があります。

エクアドルやバヌアツ共和国等で発見された土器(約5500年前)が縄文土器に類似しているのです。

以前は初期のものが発見されていなかったので、日本の縄文土器の技術が伝わったとされていました。

最近は、初期の土器も見つかっているようで、この説には疑問も出されています。

しかし、まだ証拠があるのです。
日本人特有と言っていいATLウィルスがアンデスのインディオ(アイマラ族)から発見されているのです。

このウィルスは母乳感染しかせず、しかも遺伝子分析の結果、両者はごく近縁だとか。

しかも1500年以上以前に分かれたものだと、証明されています。
と言う事で、日本人の移民の後と言うわけでは有りません。1000年以上も前のミイラからも

発見されていますしまた、インカ以前のシカン時代の墓から発見されたミイラの内の何体かの

ミトコンドリア遺伝子の分析の結果、アメリカ固有の遺伝子とは異なる遺伝子をもったものが

見つかっています。なんと、その遺伝子は現存人類の中では縄文人の末裔と言われる

アイヌの人々に一番近いそうです。

(注)現存する最古の地球儀、1492年のマルティン・べハイムの地球儀にはジパ
ングが現在のメキシコに近いところに位置しています。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より


01/06/28

□■江戸の時間

最近、夏時間を採用しようなんて動きがありますね。省エネのためとか。でも、効果はあるのでしょうか?
ちなみに夏時間は米語でdaylight saving time(英語:summer time)です。

夏時間は、以前、日本にもありました。1948年から4年間実施されましたが、
あまり評判が良くなくて廃止されました。
実は夏時間は中・高緯度地方の国でのみ採用されているのです。

日本は夏時間を採用している国より低緯度にあるため、効果のほどは疑問なのです。
省エネに対しては逆効果と言う可能性も指摘されています。

24節気と言うのがありますね。立春とか立秋とか。これも、お天気お姉さんが言うように、

「暦の上では・・・ですが、まだまだ・・・」と季節感と合いませんね。これは北海道と同じくらいの緯度の、

中国の華北地方の気候に基づいているからなのです。
その土地に合ったものでないと、あまり意味の無いものとなってしまうのです。

江戸時代以前は、夜明けが"明け六つ"、夕暮れが"暮れ六つ"って、毎日変化していました。

それが、自然なのかもしれませんね。でも、夏と冬で"1とき"の長さが違うのは、こまりものですが・・・。

ここで、江戸時代の時間の数え方をまとめておきます。時代劇を見たり、落語を聞いたりするとき、

知っていると便利ですよ!

上段の時間はあくまで目安です。上にも書きましたが、"1とき"の時間は毎日違うんです。

(江戸時代もこの点は困ったみたいで、15日を単位に変えていました。)

午前             午後
0時 2時 4時 6時 8時 10時 0時 2時 4時 6時 8時 10時
 子   丑   寅   卯   辰   巳    午   未   申   酉   戌    亥
九つ 八つ 七つ 六つ 五つ 四つ 九つ 八つ 七つ 六つ 五つ 四つ

手元の理科年表(1999年)で計算してみると、東京で、昼間の"1とき"が夏
至の頃は2時間38.5分、冬至の頃が1時間49.3分。ものすごく違いますね。

(注)明六つは、日の出前35分ごろ、暮六つは日没後35分くらいです。
江戸では
  夏至の頃:明六つが3時47分頃、暮六つが19時38分頃
  冬至の頃:明六つが6時11分頃、暮六つが17時07分頃です。

では、ここで雑学!
1.正午の正って?
平安時代の暦(宣明暦:せんみょうれき、862年)では一日を12辰刻に分け、
その各々を、初刻と正刻に2分しました。昼の12時を正午と言うのは「午の
正刻」のことなのです。午(うま)の刻は午前11時から午後1時までです。
午前、午後もここからきています。

2.お八つは今では何時?
平安時代、宮中では12辰刻が太鼓の音によって知らされました。(江戸時代も
鐘の音で知らせました。もっとも、捨て鐘といって、前に3つ余分に打ちまし
た。)子の刻が九つ、以後一つずつ減らし四つになると再び九つから始めまし
た。そこで八つは午後1〜2時頃になります。
"おやつ"には早い! いいえ、当時は一日2食ですから、八つ時に軽い間食を
したのです。今で言う昼食!
一般庶民が一日三食になるのは元禄(1688-1704)の頃からのようです。

3.丑三つ(うしみつ)の三つとは?
一辰刻を四刻に分けていました。一刻は30分ですね。丑の刻は午前1時から
3時ですから、丑三つ時は丑の三刻目、つまり午前2時頃ですね。

4.♪お江戸日本橋七つ立ち、はつのぼり・・・
日本橋の旅立ちが今で言う午前四時頃、ずいぶん早かったんですね。あたりは
真っ暗!
 ♪・・・高輪、夜明けて提灯消す・・・
高輪(泉岳寺の有るあたりです)で夜が明けたんです。

蛇足ですが、江戸時代は上方(かみがた)へ行くのが"のぼり"です。

5.なぜ江戸時代の時間の数え方は九つから順に減るのでしょう?
中国から伝わったようですが、時の数が九ツから始まるのは定説がありません。
ただ、一般に有名な説は、易学での陽(宇宙の根元)を表す数九を取ったもの
で、9*1=9、9*2=18、9*3=27、9*4=36、9*5=45、9*6=54 の一の位を取っ
たと言うものです。

料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/06/13

□■ビール

ビールのおいしい季節になりましたね。皆さん、お好きですか?

ところで、本場ドイツでは、1516年「ビールは大麦、ホップ、水だけで作るべし」と言う

「ビール純粋令」が出て、現在でも守られています。つまり、麦芽100%はあたりまえというより、

それ以外はビールではないのです。私も以前ドイツで飲んだビールの味が忘れられません。(^_^;)

日本の麦芽100%でないビールは、これ以外(副原料)に何が入っているのでしょう。

ビンや缶の成分表を見てください。お米なんかも使われているんですよ!

★さてビールの始まりは何頃なんでしょう?

B.C.3000ころ、シュメール人が麦の種類によって4種類のビールを作っていたと言われています。

その後エジプト、ギリシャ、ローマでもワインよりビールが主流でした。

それが、ワインに取って代わられるのは、キリストがワインを飲むユダヤ人だったため、

キリスト教とともにワインが主流となったからだと言われています。

文献上は、あの史上最古の成文法といわれる「ハムラビ法典」(B.C.1800)に出てきます。

ビールを薄めて売ると溺死刑なんて恐ろしい条項もあります。

★麦芽とホップって?

麦芽、読んで字のとおり、麦の芽。芽が出て6日目ぐらいのものを使います。
もう一つ欠かせないのがホップです。ホップはクワ科の多年草です。ヨーロッパやアジア大陸に自生し、

健胃剤として昔から使われてきました。ビールに使うのは受精してない雌花です。

松ぼっくりのような形をしています。これをを乾燥させたものを使います。

★泡はなぜ必要なのでしょう?

泡は酸化を防ぎ、口当りを柔らかくすると同時に、苦味やアルコールの刺激を和らげる効果があります。

目の細かい泡が立ったビールがおいしいようです。
ですから、冷やし過ぎのビールはおいしくないのです。また、香りも減ります。

★ラガービールとかドラフトビール、また上面発酵とか下面発酵なんて宣伝に出てきますが、

あれって何でしょう?発酵温度の差によるものなのです。

1.常温発酵:「上面発酵ビール」で温度は15-25℃、 酵母が上にあがってきます。

コクを生かすため余り冷やさずに飲むもので、エールビール(英)などがこれにあたります。

2.低温発酵:「下面発酵ビール」で温度は8-12℃、酵母が底に沈み、2次発酵します。

さっぱりした味わいで、貯蔵性が良いとされます。ラガービールがこれにあたります。

ドラフトビールはもともと「たる詰ビール」のことです。ただ、日本では生ビールは「たる詰」なので、

ドラフト=生の意味に使われています。

★ビールを飲むと太るってほんと?

アルコールのカロリーはエンプティーカロリーといわれ、体温上昇につかわれ体にはつきません。

ただ、ビールにはアルコール以外のカロリーも含まれます。大瓶一杯の生ビールで89kcalと

他のお酒に比べると若干高めです。しかしこれでも、ご飯1/4杯分と同じです。ですから、

ビールだけで太るということはありません。ただ、その食欲増進効果によって、ついつい、

おつまみを食べ過ぎてしまうのがよくないのです。おつまみに注意しましょう。

★おいしい注ぎ方

 1.開封の際に最も炭酸が逃げるため静かに蓋を開けます。
     よく、栓抜きでたたく人がいますが、あれはよくないのです。 

   2.初めにグラス1/2〜2/3位まで勢いよく泡立つように入れます。

 3.荒い泡が消えるまでおよそ30秒〜1分間、そのまま置いておきます。

 4.グラスを傾けて、泡の下を通すように、静かにビールを注ぎます。

 5.ビールと泡の比率が7:3位になるのが最もよいと言われています。

グラスの汚れは泡の表面張力を失わせますから厳禁です。
グラスは丁寧に洗って、布巾は使わずに自然乾燥させ、霜が着く程度に冷やしておくといいようです。
そして、夏は4〜6度、冬は6〜8度が美味しい温度だと言われています。

★では、雑学!
〇牛にビールを飲ませると言う話を聞いたこと有りません?
あれは、食欲増進効果と酵母による消化、吸収を良くする効果があるのだそうです。

〇ビールは沢山飲めますが、水は沢山飲めませんね、なぜでしょう?
水は少しずつ十二指腸送られ、小腸から大腸を通過時に腸壁からだけ吸収されます。

一方、アルコールは腸壁だけ出なく胃壁からも吸収されます。その時、水分も一緒に吸収されるのです。

また、アルコールは炭酸ガスや砂糖を含む場合、吸収が早まりますし、利尿作用も有ります。
それでたくさん飲めるんですね。

〇ビール瓶はなぜ633mlなんて半端なのでしょうか?
昭和15年 酒税の課税方法が出荷量を課税の対象とする庫出税(くらだしぜい)に変わりました。

当時、瓶の容量は各社ごとに10ml程度の誤差がありました。そこで、

各社のビール瓶の内で最も容量の少なかった瓶の容量、633mlが基準になったのだそうです。

〇ビールの美味しさを表す、コクとかキレって何でしょう?
コクとは麦汁の濃度が高さを言って、濃い、飲みごたえがある、腰があるといわれます。
一方キレは発酵度が高いことを言いいます。軽快、すっきりしている、まるみがあるといわれます。
ビールの美味しさとは、このコクとキレのバランスによって決まると言われています。


資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/05/27

□■時間

6月10日は時の記念日ですね。で、今日は時間のお話。

何だか、年々、時間の経つのが早くなっているって感じるのは、私だけでしょうか?
実は、実験によると、歳を取るほど時間を短く感じるのだそうです。

時間が早いと感じるのはそれだけ歳を取ったということになるんですね。(T_T)

ところで、時間の単位(秒)ってどう言う定義だか知っていますか?

日本で最初に秒が定義されたのは意外と新しくて1951年に「1秒は平均太陽日の86,400分の1」

と決められました。(世界的には1799年です)でも、今では全然違います。

簡単に書くと「セシウム原子が約92億回振動するのにかかる時間」。う〜ん、難しい!(^_^;)

でもこれは、大変大きな変更です。今までは地球の運動を基準にしていたのが、

そうではなくなったのですから。つまり、正確な時計で測ると地球の自転の変化もわかると言うんです。

その時計の進歩ですが、クオーツ時計の誤差は3年に1秒だといわれています。

しかし、今ではレーザー原子時計で誤差150万年に1秒にまでなっています。

そして、研究中のものは何と、1億年に1秒だそうです。

その結果、地球の自転の遅れが観測でき、ここ42年間に32秒遅くなったんだそうです。

原因は自転に対する海水や風の抵抗、もちろん月や太陽の潮汐力もあります。
それで、最近「閏(うるう)秒」なんて言うのが時々有るんですね。^^; (注)

このように地球の自転はどんどん遅くなっているので、逆算してみると46億年前、

地球が出来た頃には地球は5時間で一回自転していたことになるんだそうです。

で、ちょっと気になるのが人間の体内時計は25時間だということです。

何だか不思議ですね。24時間より短いのだったらわかる気がするのですが・・・。
(最近、24.18時間と言う研究結果も発表されています。マウスは23時間40分だとか)
実際、シアノバクテリア(「鉄」の項を参照して下さい)の持つ時計遺伝子の周期は24時間だそうです。

こんな古い生物が今と同じ周期を持っているなんて不思議ですね。

単純な生物だから適応能力が強いでしょうか?

人間の体内時計は目の奥にあります。毎日、目から入ってくる光によって調整しているのです。

ですから、毎朝、太陽の光を感じるのは体のリズムを正常に保つために必要なことなのです。

私達が体内時計を強く意識するのは"時差ぼけ"の時ですね。

睡眠をコントロールする体内時計はすぐ現地時間に対応しますが、

体温やホルモン分泌など体の働きを調節する体内時計は適応に時間がかかります。

この両者のずれが心身の不調を起こすようです。

強い光を浴びると良いそうです。また、メラトニンと言うホルモンも効くそうです。

アメリカでは手軽に買えますが、日本では市販されていません。

話は変わりますが、今建設中の宇宙獣絢・では「グリニッジ標準時を採用する」そうです。

航空機と同じですね。

では、ここで雑学。
1.時計の針はなぜ右回り?
これは日時計の影の動く向き(北半球)にしたと言うことです。

2.時計の語源は?
時計は当て字です。正しくは「土圭(とけい)」。江戸城の機械時計が置かれた部屋も「土圭の間」

と呼ばれていました。で、この「土圭」ですが、昔、中国で、日時計の地面に立てた棒を「表」と

言い、影の長さを測定するためにつけた目盛り尺を「圭」または「土圭」といい、

合わせて「圭表」と呼びました。

実は今でも中国では小型の時計のことを「表(ビィァオ)」と言います。腕時計は「手表(ショウビィァオ)」。

中国では「表」が残り、日本では「圭」が残った。面白いですね。

3.時の記念日の由来は?
日本書紀に天智天皇10年(671年)に「初めて漏刻(ろうこく)を用う」と記載
されていて、その日を今のグレゴリオ暦に直すと6月10日になると言うのです。漏刻とは水時計のことです。

(注)ところで、この閏秒は何時入るのでしょう。
誤差が0.9秒を超えそうなとき、12月か6月(第一優先)又は3月か9月(第二優先)、

更に必要のあるときは任意の月の月末に、その日の23時59分59秒の次に第60秒として挿入されます。

これは協定世界時ですから、日本では1月か7月、又は4月か10月、更に必要のあるときは任意の月の1日の午前8時59分59秒の次に入ります。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/05/10

□■真珠

今日は真珠のお話。6月の誕生石ですね。ところで、真珠って宝石なのでしょうか?

昔から、五大宝石の中に数えられています。五大宝石は、ダイヤモンド、真珠、ルビー、エメラルド、

サファイアの5つです。そして、ダイヤモンドが宝石のキング、真珠がクイーンと言われてきました。
真珠の品質は、色、大きさ、照り、巻き、キズ、形、の6つの要素で決まります。

御木本幸吉(1858〜1954)が世界ではじめて真珠貝の養殖に成功して、

日本は質量ともに世界一の真珠生産国なのです?。 ?を書いたのは近年、アコヤ貝の大量死の

被害が深刻なのです。愛媛県なんかは最盛期の半分の量になっているそうです。質も落ちていますし。

アコヤガイの大量死は、養殖場での過密養殖やフグ養殖のホルマリン投与の影響が原因とも

言われていますが、定説はないようです。赤潮などで近年生産が難しくなっているし、

高水温と海流の変化によるプランクトンの減少など悪条件が重なったという指摘もあるみたいです。

この日本の真珠、実はマルコポーロの記述にも載っているのです。
「ジパングは多量の真珠を産する。ばら色をした丸い大型の、とても美しい真珠である。・・・」
日本でも、古事記や日本書紀に記述があります。

また、あこや貝又は近縁種は縄文・弥生の遺跡からも発見されています。

オーストラリアの北に木曜島という島があります。ここは明治から昭和にかけて日本人が白蝶貝

(しろちょうがい)を取る出稼ぎに言った場所です。危険な仕事で、収入も多かったと言います。

この島に眠っている日本人は数千人にのぼるといいます。

この白蝶貝は綺麗なので高級ボタンの材料になりました。

そして、この白蝶貝に数万分の一という確率で天然真珠が入っていることがあるのです。

白蝶貝はアコヤ貝に比べ大きい貝ですから、入っている真珠も大きいのです。

一攫千金の夢だったのです。今では、白蝶貝による真珠の養殖も始まっているようです。
司馬遼太郎の作品に「木曜島の夜会」と言う作品があります。明治初期から
白蝶貝採集に従事する日本人ダイバーたちの哀歓を描いた作品です。

ところで、真珠の重さの単位は何だか知っていますか?
「もんめ」(匁=1匁は3.75g)です(法律的にも)。

それも、世界的に! 統計上もその千倍の貫(かん=3.75キロ)が使われています。

話はかわりますが、真珠を語源にする単語のお話。
まずは「マーガリン」、これはギリシャ語のマーガライト(真珠)からきています。

ナポレオン三世はプロシャとの戦争で物資が不足していたとき、バターの代用食品を懸賞金つきで

募集しました。このとき出来たのがマーガリンで発明者のムーリエが命名したと言われています。
もう一つ「onion(たまねぎ)」、これはラテン語のunio(真珠)から来ていると言う説があります。

最後に歴史的な逸話を一つ。
クレオパトラの船の正餐に招待されたアントニー一行、あまりの豪華さに魂を奪われました。

将校の一人が酔った勢いで「いくら女王陛下でも、一千万セステルティウスもかけては

いらっしゃらないでしょう?」と言った時、女王は黙って微笑み、酢を入れたグラスを持ってこさせます。

そして、していた真珠のイヤリングをグラスに入れ、真珠が溶けたところでぐっと飲み干しました。

この真珠、プトレマイオス家に伝わる世界一の真珠と言われる物。現在の価格で1億円とか。

世界で最も高価な飲み物ですね。実は、真珠はカルシウムの塊、しかもコンキリオンという美容に

良い成分含まれています。今でも中国では真珠の粉末を美容に良いとして売っています。

お土産に買った人もいるのでは?

もう片方のイヤリングはパルテノンのビーナスの耳を飾るために2つに割られたと、

ローマ時代の博物学者プリニウスは書いています。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/05/08

□■□■太公望

太公望は渭水で釣りをしていて文王に見出されてその師となり、文王、武王をたすけて殷を滅ぼした

軍師です。本姓は姜(チャン)、字は子牙。氏は呂、名は尚。周代の斉国の始祖です。

太公望の名の由来は周の祖、太公が待ち望んでいた賢者という意味で名づけられたと言われています。

時代は殷の滅亡がB.C.1023年ですから、紀元前11世紀の人です。(日本はまだ縄文時代まっさかり)

この太公望、日本では釣師を意味する方が有名ですね。この名前、安能務によると「そもそも太公望は、

魚釣りの技法すら知らなかった。実は、彼に釣りの技法を教えたのは日本人である。

太公望を誰が日本に連れてきたかはわからない。

したがって誰が釣りの「技法」を仕込んだかも不明である。」と、言わせているように、

彼の釣り糸は水面から3寸も離れていたとも、針が真直ぐだったとも言われています。

つまり彼は魚を釣ろうとしていたのではなく、文王を釣ろうとしてたのですね。

で、太公望に係わるお話を幾つか。

「商」っていう字が商売などの意味に使われる理由です。
太公望が周王を助けて滅ぼした国”殷”王朝、その国号が「商」なのです。

新興勢力の周は、かつての商の高官をいわば公職追放し、亡国の民は商人に成らざるを得ない

状態に追い込まれます。これが、商業、商人の「商」の語源という説です。

それから、皆がお世話になった、なっている?「虎の巻」
中国の兵法書の代表的古典は「孫子」「呉子」「尉繚子」「六韜」「三略」「司馬法」「李衛公問対」の7つです。もちろん、その中で秀逸は「孫子」とされて、最近、日本でもたくさん本が出ています。


ところで、太公望の兵法書は「六韜(りくとう)」です。これは文韜、武韜、龍韜、虎韜、豹韜、犬韜の

六巻から成っていて、その中の戦略・用兵の奥義が書かれていた「虎韜」から「虎の巻」って

言葉が生まれました。

最後に「覆水、盆に返らず」
太公望は若いときは、本ばかり読んで少しも働かなかったと言われています。

奥さんの馬氏はあきれて実家に帰ってしまいました。しかし太公望(呂尚)は周の文王に認められ、

大出世をしたので、それを知った馬氏は後悔して、太公望のところに戻って来ようとしました。

ところが、太公望は馬氏に向かって鉢に入った水を庭にこぼして、

その水をもとの鉢に戻したら妻として受け入れようと言ったと言われています。

一度こぼした水はもとの器に戻らない。一度別れた夫婦はもとには戻らない。
一度してしまったことは、取り返しがつかない。と言う意味ですね。

紀元前11世紀頃の言葉が、現代にも生きている。すごいですね。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

01/04/06

□■緑茶

最近は緑茶ブーム、特に若い女性の間で。それに、5月1日は八十八夜、茶摘の季節。と言うことで、
今回は緑茶の話です。

お茶はツバキ科の暖地性の常緑低木で、原産地は中国です。
もともとは薬として利用されていて、飲物となったのは漢代以降のことです。

日本へは8世紀頃、僧侶が持ち込みました。そして、これを広めたのは栄西とされています。
「茶は養生の仙薬、延齢の妙術なり」と、当時は長寿の薬として貴族にもてはやされたようです。
しかし、一般に普及するのは室町以降のことです。

茶の読み「ちゃ」は中国の北部の音「チャ」に由来し、ロシア語の「チャイ」も同じです。
一方、中国の南部の音「テー」に由来するのが英語の「ティー」です。

お茶の種類は、大きく分けて3種類に分けられます。
1. 無発酵茶(緑茶):葉を摘み、新鮮な内に短時間蒸し、酵素による発酵を止めます。
2. 半発酵茶(ウーロン茶):葉を摘み、短時間天日に干します。

3.   発酵茶(紅茶):葉を機械でもむことにより傷をつけ発酵を促し、発酵室で十分発酵させます。

日本茶にもいろいろ種類がありますね。
1. 煎茶:八十八夜あたりから茶摘をします。1〜4番茶まで。おいしいのは二番茶までです。
露地栽培の新芽を摘み取ったもので、日光を十分に受けてそだったのでビタミンCが豊富です。
摘み取った葉は蒸気で蒸し、もんで細かくしながら乾燥させます。

2.   番茶:煎茶の若芽を摘んだ後で伸びた葉や茎を使います。蒸すか煮るかした後、
少し発酵させて天日で乾燥。煎茶よりカフェインが少ないようです。

3.   焙じ茶:煎茶の下級品(番茶)を強火で焙じたものです。タンニン・カフェインが緑茶の中で一番少なく、
もともとは落ちた香を増すため焙じて芳しく仕上げたものだったのです。

4. 玉露:八十八夜あたりに藁(わら)などでお茶の木を覆い20日ぐらいそのままにします。
こうするとアミノ酸が増え甘味の有る色鮮やかな葉に仕上がるのです。
蒸した後、もんで乾燥させたのが玉露で、もまずに乾燥させ葉脈と葉柄を除いて粉末にしたのが抹茶です。

さて、お茶の効能は最近注目されていますね。

1. カフェインの効果:ダイエット効果があります。カフェインは体に蓄えられた脂肪をエネルギーとして
使いやすい形に変える働きをします。でも運動とセットで考えないと駄目ですよ。もちろん、眠気覚ましの効果もありますね。

2. 殺菌効果:カテキン(渋みの成分)の効果です。抗生物質が効かないと言われるMRSAやインフルエンザ
ウィルスにも効果が有るとの報告がありますし、虫歯・口臭の予防にもなるそうです。
ガンの予防、抑制効果があるともいいます。

寿司にお茶がつき物なのはこういう理由もあるのです。
また、お茶の葉での掃除も抗菌・殺菌作用があります。昔の人はえらいですね。

3. ビタミンC、タンニンの効果。適量で、消化酵素の作用を抑え、過剰栄養を制限し体を健康にします。

4. 他にもビタミンA,Eも含んでいます。

さて、おいしいお茶の選び方ですが、法則はただ一つ、「値段で選べ」です。
100g1000円が目安だと言われています。では、おいしいお茶の入れ方。

1. お茶の葉はたっぷり入れます。8〜10g
2. お湯は一旦湯のみについで少しさまします。

3. 葉を入れた急須にお湯を注ぎ、少し待ちます。
玉露:150秒 上煎茶120秒 番茶・焙じ茶・玄米茶30秒
4. 濃さが均一になるようそれぞれの茶碗にまわし注ぎにし最後の一滴まで
きっちり出しましょう。


ここで、お茶に関する言葉を幾つか紹介しますね。
1. お茶を濁す。
昔、お茶は大変貴重な物として珍重されていたので、お茶を出せばその場を
まるめこめたことから、急場をしのぐことを「お茶を濁す」と言うという説です。
もう一つ説があります。作法の厳しい茶道で心得の無い人がいいかげんなや
り方でお茶を点てその場を取り繕ったことに由来すると言うものです。

2. お茶をひく
もともとは娼妓の言葉です。廓へ来たお客に出すお茶を茶臼で挽くのは、お客のつかない手のあいている

妓の役目でした。そこで、売れ残ってしまうことを「お茶をひく」と言ったというのです。
他に、中国の宮廷では主君の夜のお相手を決めるのに、多くの妃たちがお茶を献じました。

そして、主君の飲んだお茶を献じた妃以外はせっかく出したお茶をひいて下がらなければならなかったからだと言う説もあります。

でしゃばりでおしゃべりな小娘を「おちゃっぴい」と言いますが。

これは「お茶を引く」が転じたものと言われています。

3.お茶の子さいさい
関東の一部で「チャノコ」とは朝飯のことをいい、その敬語が「オチャノコ」。
つまり、「朝飯前」が「オチャノコ前」になり、それを簡略にして「オチャノコ」になったと言うものです。
他に、「茶の子」はお茶菓子のことであり、難しい茶の作法に比べればお菓子を食べるくらいは簡単だという意味から来ているという説もあります。
なお、「さいさい」は、民謡のはやし言葉で「のんこさいさい」というのからきているそうです。

4.無茶苦茶
無茶とはお茶を出さないこと。苦茶とは苦いお茶を出すこと。

つまり、大事な相手にもお茶すら出そうともしない。また出しても苦くて飲めた物で無い。
こんな状態を無茶苦茶と言います。現在では意味が転じて、まともではない、
常軌を逸している態度に使われますね。
別説として、「むさと」(正当な理由もなく、または、いいかげんに事を行うさまを表す語。

みだりに。むやみに。やたらに。)の「むさ」が語源で無茶は当て字というのもあります。

滅茶苦茶と言うこともありますね。

では最後に、
5.お茶を「上がり」というわけ。
これも遊郭の廓言葉です。お茶は遊郭の店に客が上がったところに出すので
「上がり花」と言いました。と言うのは、お茶はお茶をひくにつながるので
これを嫌ったからです。その「上がり花」を略したのが「上がり」の語源だと言われています。

01/01/12

□■七福神

今日は"幸福を招くという七人の神様"のお話です。

お正月に"七福神詣で"をする方もいるのでは? この習慣は江戸時代も末からのようです。

江戸っ子の多くは元旦から七日まで七福神詣でに出かけました。

江戸時代は元日と二日に、七福神が宝船に乗った絵を宝船売りが売り歩きました。

この絵を正月二日に枕の下に入れて寝ると、めでたい初夢を見ると信じられていました。

七福神の信仰自体は室町時代の末期の頃から始まったとされ、特に、農民、漁民の間で

民間信仰の形で継承されて、現代にまで生き続けています。

さて、七人の神様を簡単に紹介します。国際色ゆたかな、宗教ごちゃ混ぜのにぎやかなメンバーです。(^_-)

★恵比須(恵比寿、蛭子、夷) 出身:日本(神道)
イザナギノミコトの第3子蛭子尊とも、大国主命(おおくにぬしのみこと)の御子とも伝えられています。
航海と商売繁昌、無病息災、交通安全などの神様です。
風折烏帽子に狩衣、指貫(さしぬき)を着て、釣りざおで鯛を釣りあげる姿をしています。

★大黒天       出身:インド(ヒンドゥー教)
印度の破壊、死の神様ですが、日本に入って、音の類似から大国主命(おおくにぬしのみこと)と混同されてしまったようです。日本ではなぜか蓄財、五穀豊穣の神様となってしまいます。柔和な福相は大国主命からきているようです。
狩衣のような服を着て、まるく低いくくり頭巾をかぶり、左肩に大きな袋を背負い、
右手には打出の小槌を持ち、米俵の上に乗っています。

★毘沙門天(多聞天) 出身:インド(仏教)
仏教四天王の一人です。仏法道場の守護神として崇められていることから武士や軍
人の信仰する神で、勇気と福徳財宝を授ける神様です。
その形像は怒りの相を現し、甲冑を着け、片手に宝塔、片手に宝棒また戟(げき)を持っています。

★弁財天(弁才天、弁天) 出身:インド(ヒンドゥー教)
七福神の中で唯一の女神で、日本では吉祥天や宇賀神(穀物の神)と混同されています。
愛情や知恵と親切心を授けるといわれ、芸能の神様として崇められています。
宝冠・青衣の美しい女神で、琵琶をひいている姿です。
弁天様はアベックで参拝すると妬きもちを焼かれ恋が成就しないそうですよ。

★布袋        出身:中国(道教)
布袋和尚は中国の後梁の高僧、契此(かいし)で、9世紀から10世紀の人です。
中国五代聖人の一人である弥靭菩薩の化身といわれています。
慈恵、天候の神さまで、大きなお腹に杖を持ち、日用品をすべて入れた大きな袋が
特徴です。この袋から布袋和尚と親しまれたようです。

★福禄寿       出身:中国(道教)
南極星の化身といわれます。長寿、富貴、幸福の神さまです。
背が低く、長頭で長いひげをもち、杖に経巻を結び、鶴をつれています。

南極星とは、天の南極に位置する星で、竜骨座のカノープスのことです。中国の天
文学では老人星と称して、人の寿命をつかさどるとされています。

★寿老人       出身:中国(道教)
中国の道教の祖、老子の化身と言われています。長命、富財、与宝、諸病平癒の神さまです。
白い髭が長く垂れ、身の丈三尺(約91cm)の長頭の老人で、玄鹿をつれています。
この玄鹿は1500歳を経た鹿で、その肉を食べると2000歳の長寿を得るといわれます。

では、七福神に関係する言葉をいくつか・・・。
■恵比寿講
神無月は神様が出雲に集まるので、"神無月"と呼ばれるといいますが、実は、地方
によっては、恵比寿様が留守番をしているのです。
農村では、旧暦十月二十日が恵比寿講になっています。江戸でも、商家などで、商
売繁盛を祈って、恵比寿神をまつる行事が行われました。
なお、出雲では旧暦十月を"神在月"と言います。

■恵比寿駅(東京都)の由来
明治16年にヱビスビールの工場が出来ました。そして、このビールの積み出しのた
め、明治39年駅が出来、恵比寿駅と呼ばれました。当時このあたりは渋谷村でした。
現在では工場跡地が再開発され、モダンな街に生まれ変わっていますね。

■大黒柱
日本の家屋は柱の穴に横木が差し込まれているだけでした。これは地震に対し木が
折れるのを防いでいます。しかし、この構造だと、柱と横木だけでは家全体の重量
を支えられないのです。そこで、一番太い柱に全部の梁をかけて屋根を支える構造にしています。
台所がこの柱の片側に面して必ず置かれました。台所には厨房の神様、大黒天がま
つってあります。そこで、この柱を大黒柱と呼ばれるようになりました。

■大黒歯、恵比寿歯
あまり知られていませんが、上の前歯の中央左側の歯を大黒歯、右側の歯を恵比寿歯と言います。

■福神漬け
明治の初め、東京、上野の"酒悦(しゅえつ)"の野田清左衛門が、大根、茄子、なた豆、白瓜、蓮根、紫蘇の実、生薑(しょうが)などを細かく刻み、味醂醤油で下
漬をしてから、水飴などを加えて、再び煮つめた味醂醤油に漬けたものを売り出しました。
名前は滑稽本作家、梅亭金鵞(はいていきんが)が名づけたといわれています。

もちろん、七種類の材料を用いたことによります。福神漬けは"酒悦"の登録商標です。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

00/12/30

□■干支

今日は"えと"のお話です。

"えと"は漢字で"干支"と書きますが、語源は"え"は"兄(え)"、"と"は"弟(おと)"の意味です。

まず、十干(じゅっかん)のお話から。
十干と言うのは、甲、乙、丙、丁、戊(ぼ)、己(き)、庚(こう)、辛(しん)、
壬(じん)、癸(き)の総称です。中国の殷の時代から、

10日ごとに循環する日を表示する数詞として用いられていました。

これが、周の時代になると、十二支と組み合わされて年と日とを表すようになります。

やがて、漢の時代(一説には戦国時代)になると、陰陽五行説の五行、"木火土金水"と結合します。
結果、木(甲乙)・火(丙丁)・土(戊己)・金(庚辛)・水(壬癸)のように二つずつ五行に配当され、

さらに二つは、五行各々の陽すなわち兄(え)と、陰すなわち弟(と)を示すとされました。

日本では、甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)とも読まれました。
そして、十干は年と日を示すほか、種々の分類記号としても用いられ、

昔は学業成績などの表示に使用されていました。

干支はこの十干に十二支を順に組み合わせたものです。
甲子(きのえね)、乙丑(きのとうし)から壬戌(みずのえいぬ)、癸亥(みずのとい)まで、

60の組み合わせがつくられ年月日、時刻、方位などを表わす名称として用いられました。
還暦は60年毎に同じ干支になることから、使われる言葉です。
ただ、現在は十干を省いて十二支だけで表わしたものを干支と呼ぶことが多いですね。

チョット難しくなりましたが、甲子園、丙午(ひのえうま)、庚申塚などと使われますし、

歴史では、壬申(じんしん)の乱、戊辰(ぼしん)の役など、何気なく使っています。

そうそう、中国でも辛亥革命なんていうのもりますね。

さて、十二支の"子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥"に対して中国で各々、"鼠牛虎兎龍蛇馬羊猿鶏犬猪"

があてられました。
この時期は戦国時代(B.C.五〜B.C.三世紀)と言われますが理由は不明です。

これが日本に入ってきて”ね、うし、とら、う、たつ、み、うま、ひつじ、さる、とり、いぬ、い”

と言う呼称が出来たのです。

ところでなぜ十二かと言う問題がありますね。
一説には、中国では木星が天球の黄道を約12年かけて一周するため、

一年を秩序だてる星として観測が重視され、歳星あるいは太歳と呼ばれました。

この木星の運行と関係して十二支が生まれたと言うものです。

方位に使った例は現在までいろいろ残っています。
子午線は北を表す"子"と南を表す"午"を結ぶ線の意味です。
方位で南東を辰巳=巽(たつみ)、北東を丑寅=艮(うしとら)、南西を未申=坤
(ひつじさる)、北西を戌亥=乾(いぬい)と書くことがあります。

辰巳芸者とは江戸時代、深川の芸者を指した言葉で、深川が江戸城の辰巳の方角にあたったので、

こう呼ばれました。乾は苗字として使われていますね。
丑寅は時刻が3時から5時で、東雲が太陽を孕んでいる時に当り、まさに太陽の生
まれる払暁であるから「生門(きもん)」と呼びました。のちに、牛の角を生やし、
虎のふんどしを締めた鬼形を配し「鬼門」となって恐れられました。
"うしとら"だから牛の角に虎の皮のふんどし、単純ですね。^^;

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

00/12/26

□■蕎麦(そば)


関西では"うどん"、関東では"そば"と言うように、"そば"は中部地方より東側で好まれているようです。

"そば"は中央アジア原産のタデ科の一年草です。あの「蓼(タデ)食う虫も好き好き」のタデの仲間です。

この"そば"と言う名前、日本の古語に「角(かど)」とか「稜角(りょうかく)」
とか言うような意味の「ソバ」と言う言葉が元になっています。
と言うのは、ソバの実は三角錐で尖っており、また葉も三角形であることによるようです。
古くは、稜(そば)のある麦(むぎ)を意味する「そばむぎ(蕎麦)」と呼ばれ
たようですが、やがて略されて、単に"そば"と言うようになりました。

この「そば」と言う言葉は崖や急な傾斜地を表す言葉としても使われました。
この意味から出たのが「耳をそばだてる」の「そば」です。耳を崖の様にぴんと立てる様子からです。
やがて、崖は物の端ですから、そのような場所を指すようになります。

やがて、物の端にあたる部分は、見方を変え、その物から考えるとその物に一番
近い場所と言う事になります。これから、物の近くを「そば」と言うようになった、と言う説があります。
よく駄洒落で使う「蕎麦(そば)」と「側(そば)」、語源が同じなんですね。

日本に伝わったのは奈良時代以前で、北方から朝鮮半島を経由して渡来したとされます。

また、弘法大師が持ち帰ったという説もあるようです。

"そば"が麺(めん)の形になるのは、江戸時代初期(寛文年間)に東大寺に来た朝鮮の僧元珍が伝えてからです。元珍は小麦粉のつなぎを伝えたと言われています。つなぎは小麦粉に含まれるグルテンです。

そば粉には含まれていません。

そば粉100%の"そば"は「生粉(きこ)打ち」といい、大変難しいようです。
つなぎが伝わる以前の、江戸の初期100年間は「生粉打ち」でした。

「生粉打ち」の"そば"を"生蕎麦 (きそば)"と言いました。現在の"そば屋"の看板のルーツです。

当時、生蕎麦は切れやすいので蒸篭(せいろ)で蒸したようです。
今日の"ざるそば"の容器のルーツは蒸篭だったのです。
始め、蒸篭の竹のすのこは底の方に敷かれていましたが、天保年間に幕府に16文
の"そば代"の値上げを申請したのですが許されず、蒸篭のすのこを底上げし"そば"
を山盛りに見せ、これを「盛りせいろ」と呼びました。現在のもり、ざる、の登場です。

"そば"は寛永から元禄の頃までは菓子屋の副業でした。そば屋が登場するのは享保末期(1736年頃)ころです。

ところで、江戸っ子は"そば"の先を、ツユにチョットだけつけて食べますね。
江戸の"そば"のツユは相当濃い、この濃いツユに"そば"の先だけつけてすすりこ
むと"そば"の香りも生き、ツユの味にうまく溶け合いおいしく食べられるのです。
どっぷりつけると塩辛すぎて食べられたものではないのです。

ただ、見栄で少ししかつけなかったと言う説も。
「せめて、死ぬ前に"そば"をどっぷりつけて食いてぇものだ」と死ぬ間際に江戸
っ子が言ったとか、言わなかったとか。^^;

さて、"もり"と"ざる"の違いは?
もりそばを竹製のザルに盛って"ざるそば"と言ったのは、享保頃の深川・伊勢屋
が始まりとされます。当初は容器の違いだったのです。
海苔を"もりそば"に乗せて"ざるそば"と呼ぶのは明治に入ってからです。

さて、"そば"と言えば"引越しそば"、"年越しそば"ですね。
これは、江戸時代末期の風習です。諸説あるんですが、一番面白いのを。
「蕎麦はお金を集めるので縁起がいい」といいます。
昔、金(きん)を扱う職人は、お餅のように粘着性のある"そばがき"で飛び散っ
た金箔を集めました。そして金の粉がついた"そば"を水に溶かし、残った金を集めたのです。

"そばがき"は、そば粉に熱湯を加えて練ってから食べるものです。
やがて、「細く長く、いつまでもあなたのそばにおいてお付き合いください」などの意味が付け加えられたようです。

さて、そば屋と言えば「××庵」。蕎麦屋の二割は庵がつくそうです。
江戸時代の有名な"そば屋"は浅草の浄土宗称往院(しょうおういん)の塔頭(た
っちゅう)「道光庵(どうこうあん)」でした。
"そば屋"の屋号に“庵"が付くのは道光庵にあやかろうとする便乗商法です。

しかし、当の道光庵は有名になりすぎ、本寺からそばの製造を中止させられまし
た。やがて、麻布永坂の更科など多くの有名ソバ店が出来てきます。
現在移転して世田谷区北烏山にある称往院には当時立てられた「不許蕎麦入境内」
の石碑が再建されています。

先日の新聞によると、日本の技術協力でミャンマーの麻薬生産地帯にケシの代替
作物として"そば"の生産を薦めているようです。意外なところで"そば"が役立っ
ています。ちなみに、現在日本で消費される"そば"は、中国・北米産が主です。

最後にソバポリフェノール(ルチンなど)について
赤ワインで有名になったポリフェノール、"そば"も多く含んでいます。
ルチンは毛細血管の強化、血圧降下作用、膵臓機能の活性化、記憶細胞の保護・
活性化など健康には随分にいいようです。
このルチンを特に多く含むのが"韃靼(だったん)そば"です。

ルチンを日本ソバの100倍含むということでブームになっていますね。

資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

00/07/11

逆さ言葉

今日は、「逆さ言葉(さかさことば)」のお話です。辞書によると「逆さ言葉」は”言葉の音の順序を逆にしたり、中断して下の音を上にしたりしていうこと。”となっています。

よく、芸能人などが言葉を逆にして使っていますね、あれです。例えば、ハワイのことをワイハと言うように。あまり感じは良くないですね。

この「逆さ言葉」、日本には古くからあります。現在使われているものは、隠語的なものが多いようです。
例えば、ショバ(場所)、ドヤ(宿)、ガサ入れの"ガサ"(探す)、ネタ(種)、トウシロウ(素人)、ダフヤ(札屋)などですね。

しかし、中には、これが「逆さ言葉」なの?と言うような言葉もあります。そう言えば、映画「アマデウス」の中でモーツァルトは恋人コンスタンツェをからかいながら「逆さ言葉」でプロポーズします。

「逆さ言葉」って日本だけではないんですね。

では、幾つか説明しますね。ただ、語源にはいろんな説があって、「逆さ言葉」としない説もあります。

その辺は了承してください。

◆デカ
明治時代になって、一般の警官は洋服を着るようになります。しかし、刑事は和服、それも角袖

(和服の四角い形をした袖)というものを着ていました。
ですから、俗に「角袖巡査」と呼ばれました。そして、「カクソデ」と言えば刑事のことでした。

このカクソデが隠語でひっくり返って「クソデカ」、そしてデカとなったと言われています。



◆ゲンをかつぐ
このゲンは江戸時代、近松門左衛門や紀海音などの浄瑠璃にも出てくる言葉です。
江戸末期の守貞謾稿には「江戸にて吉兆を縁起といひ、京坂にて儀縁という」と出てきます。
つまり、縁起→儀縁(ギエン)→ギェン→ゲンと変わったものとされていて、上方で使われていた俗語です。

なお、ゲン=験で仏教の加持祈祷の効き目、効能を表すこと。が語源とする説もあります。



◆ドサクサ ドサ回り
江戸時代佐渡で金山が発見され、江戸の無宿者、博徒、犯罪者などを強制的に鉱夫として狩り出しました。この人足狩りのことを「佐渡」を逆さにして「ドサ」と言ったと言われています。
ここから佐渡に送られることを「ドサを食った」、これが訛って「ドサクサ」になったそうです。

ドサ回りという言葉もありますね。ドサ回りも佐渡のように隔離された絶海の地で、

そんなところまで行ったことを強調して言われるようになったそうです。


◆ダラシない
式亭三馬が「浮世床」で「しだらがないという事をだらしがない、きせるをせるきなどいふたぐひ下俗の

方言也」と説明しています。

「しだら」とは自堕落の転訛したもので、それを逆さにした「だらし」に、強調の「ない」がついたものです。

そこから、身を持ちくずした格好、しまりがないこと、きちんとしていないこと等に使われるようになりました。
"しだら"と言う言葉は"ふしだら"として現在でも残っていますね。

これには別説が有ります
1.梵語の修多羅(スートラ:秩序・規律の意味)の転訛したと言う説。
2.手拍子の意味の「しだら」から来たと言う説。しだらを打つとは調子を整
えて打つことで、これから、手拍子の調子が狂って踊りや歌が演じられなく
なることをしだらがないためだといわれたのが訛って、だらしないとなったと言うものです。



◆グレる
貝のハマグリは一つ一つ微妙に形が違っていて、他のハマグリの殻とは合いません。

そこから、貝合わせと言う遊びが出てきました。

そこで、ハマグリ(合う)→グリハマ(チグハグでかみ合わない)→グレハマ→グレとなったというのです。

江戸時代は、物事が食い違ったり、当てが外れる時に使ったようです。
愚連隊(ぐれんたい)などという表現もこの言葉の変化です。



◆ポシャる
武士は降参するとき、シンボルの兜を脱いで敵意の無い証としました。このことから「兜を脱ぐ」とは負ける、降参する、の意味に使われます。
時は幕末、陸軍はフランス式でした。そのころ、シャッポ(chapeau:帽子)という言葉が入ってきます。

時は明治にうつって、帽子が広く男性に愛用されました。そこで兜がシャッポに変わり「シャッポを脱ぐ」と

言う言葉が生まれます。脱帽するという形でも残っていますね。

シャッポを脱ぐは降参する意味、降参すれば物事が駄目になるという連想から駄目になると言う意味が

生まれます。それが「逆さ言葉」となり「ポシャる」と言う言葉が、計画がつぶれる、

失敗するの意味で使われるようになりました。



◆ズボラ
ズボラは坊主の「逆さ言葉」とされています。もともと坊主は寺の意味で、そのうち寺の住職を

さす言葉になります。これに対し「生臭坊主」や「乞食坊主」など、権威の下がった坊主のことを、

人々は「ズボウ」と言うようになり、やがてそれが訛って「ズボラ」になったと言うものです。

■さて、「倒語」と言う言葉があります。広辞苑によると【倒語】対話の当事者には相互に了解ずみの

事柄で、明示することをはばかる場合、しゃれていう場合、また意味を強める場合などに、

音節や語の順序を逆にして造った語。「ねた(種)」「れこ(此)」など。

一方
【逆さ言葉・逆さ詞】
1.言葉の音の順序を逆にしたり、中断して下の音を上にしたりしていうこと。
「これ」を「れこ」、「はまぐり」を「ぐりはま」という類。
2.意味を反対にいう語。「かわいい」を「にくい」という類。さかごと。さ
かことば。

と言う事で、厳密には微妙な違いがあるようですが、ここでは「逆さ言葉」で統一させていただきました。


資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より

00/07/05

「五味」の話です。



人間の感じる味ですが、昔から、酸(すっぱい)・苦(にがい)・甘(あまい)・辛(からい)・鹹(しおからい)の

五種の味と言われてきました。ただ、この中で”辛い”は味覚ではなく痛覚によるものだそうです。

辛味の成分が口の中の粘膜を刺激したものです。そういえば、”渋い”と言うのも有りますね。

これも辛味と同じで、触覚と痛覚が絡み合った感覚だそうです。では、五味にならない。^^;


いえいえです。旨味(うまみ)が五番目の味覚です。この旨味は日本人(池田菊苗:脚注)の

発見(1908年)です。旨味成分はグルタミン酸(コンブや野菜など)、イノシン酸(鰹節など)、

グアニル酸(シイタケなど)ですね。英語でも”umami”と言うそうです。

このグルタミン酸とイノシン酸又はグアニル酸を一緒に使うと相乗効果で七倍もの旨味を感じることに

なるそうです。料理にはこの二つがうまく入るように工夫すると、よりおいしくなります。

昨年、米のマイアミ大でこの旨味を感じる受容体を、舌にある味蕾(みらい)の中に発見したという

ニュースがありました。これで、旨味は第五の味覚としてはっきり認知されたことになります。


ところで、なぜ日本人が旨味を発見したかと言うと、日本人は外国人に比し味蕾の数が多く、

微妙な味に敏感だからだと言われています。

現在では味覚センサーと言う装置が開発され食品会社での商品開発や品質管理にも

利用されているようです。この、味覚に異常をきたすのが味覚異常です。近年、年間14万人のもの人が


かかっている恐ろしい症状だそうです。味覚異常は、亜鉛欠乏の初期症状です。

肌や髪の毛などに影響が出たり、「立ち眩み」や「免疫不全」を引き起こすこともあるそうです。


現代人のように不規則で、栄養の偏った食生活を続けているとどうしても起こりがちな症状です。


以前テーマに取り上げた牡蠣が最も亜鉛を含む食品です。心配な人は牡蠣を食べましょう。

季節はずれですね。^^;

そうそう、五味はもう一つ、牛乳を精製する過程で順次に生じる五段階の味をさす言葉でもあります。

つまり、乳味・酪(らく)味・生酥(しょうそ)味・熟酥味・醍醐味です。

酪はヨーグルトで、酥はチーズというところでしょうか?で、醍醐味ってどんな味なんでしょうね?

でも、醍醐味って言葉だけは良く使いますね。

ところで、世界三大珍味って知ってます?フォワグラ、キャビア、トリュフ、の三つです。

フォワグラ(仏foie gras)はfoie:肝臓、gras:肥えたという意味です。


雄のガチョウにとうもろこしをポンプで無理に食べさす氓んで、肝臓を脂肪肝の状態にしたものです。

かわいそうですね。お酒を飲みすぎのお父さんの肝臓もフォアグラ状態じゃないですか?

キャビアはちょうざめの卵です。最近世界的に品薄だとか。でもk海道で養殖を始めているそうですよ。

最後はトリュフ。かしやならなどの木の根元の地中に自生する食用のきのこです。

独特の強い芳香が特徴で、味よりも香りを楽しむ素材です。黒トリュフと白トリュフが有ります。

豚や犬に探させるのは有名ですね。ロッシーニは白トリュフをキノコのモーツァルトだと評しましたし、

バイロンはいつも机の上に置いて創造性を高めたといいます。

では、日本の三大珍味は?


江戸時代初期の通説で、「越前のウニ」「長崎のカラスミ」そして「知多のコノワタ」が三大珍味と

言われています。

ウニは生殖巣(卵巣)を食べます。海栗・海胆と書くのは丸のままのもの、雲丹・海丹と書くのは

塩漬けにした加工品を指します。

カラスミ(鯔子)は、ぼらの卵巣を塩漬けにして干し固めたものです。形が、「唐墨」(中国製の良質な墨)

に似ているので、こう呼ばれるようになったそうです。長崎県野母崎産のものが最高級だとか。

コノワタは海鼠腸と書くようにナマコの腸で作った塩辛です。あの柔らかい食感と、口一杯に広がる旨み。

酒飲みにはたまらない食べ物ですね。今は岡山、能登産が有名です。

最近は、この三大珍味もいろいろ説が出てきているようですが・・・。^^;

注)池田菊苗博士はドイツ留学の帰路、ロンドンに寄り、あの夏目漱石の下
宿に2ヶ月ほど滞在します。彼は化学者でありながら英文学、漢文学の素養
も深かったのです。孤独に苦しんでいた漱石はともに語り合うことのできる
友人を得て心を慰められたといいます。

    資料提供    ざつがく・ザツガク・雑学 より       

00/02/17 

ざくろの女性ホルモン

ざくろの成分を分析したところ、エストロゲン(女性ホルモン)の中のエストロンとエストラジオールと言う、

人間と同じ女性ホルモンが、ザクロの種子に多量に含まれていることがわかったそうです。

ザクロには、女性ホルモンの材料になるコレステロールは含まれていません。

しかし、ザクロの葉には、コレステロールに化学構造がよく似た、β―シトステロールという物質が多く

含まれており、どうやらこれが、コレステロールの代わりに女性ホルモンを作る材料になっているそうです。

植物中の女性ホルモン、特にエストロンの含有量はザクロが郡を抜いて多いことがわかったそうです。

ザクロに含まれる女性ホルモンは、人体で作られているものと同じなので、人体の仕組みにも完全に

適合し、間違いなく作用することが確認されて、しかも、ザクロの女性ホルモンなら、副作用の心配は

全くないそうです。ですからザクロの女性ホルモンは、構造が人体で合成される女性ホルモンと全く同じで

常にエストロゲン作用しか示さないそうです。

また単に女性ホルモンだけを含んでいるのではなく、ミネラル、アミノ酸、ビタミン類などの有効成分も

多量に含まれているので安全性を高めていると言われています。

ザクロで、最も女性ホルモンが多量に含まれているのは種子の部分で、

ザクロの種子一キロ中には17ミリグラムもの女性ホルモンが含まれているそうで、

ザクロの種子に女性ホルモンが、多く含まれていることが確認されています。

ザクロで女性ホルモンの効果を期待するなら、何よりもその種子をとる必要があり、

ザクロの種子を効率良くとるには、ジュースにして飲む方法が最適だそうですが

生のザクロはなかなか手に入りにくいのでやはり、市販のザクロジュースや有効成分を濃縮した液状の

ザクロエキスなどが手っ取り早いそうです。

中でも女性ホルモンの豊富なイラン産の黒ザクロ入りを選ぶことが良いみたいです。

  ( 各種文献より )                美杏 真由美

 

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